【高橋是清】奴隷から内閣総理大臣に昇りつめた男

今回紹介する人物は、

奴隷から内閣総理大臣に昇りつめた男です。

その名は、

「高橋是清」

 

彼は、奴隷、失業、経営失敗からの大借金の困難を乗り越えて内閣総理大臣になりました。

いかなる困難な場面でもくじけず、諦めず、粘り強く立ち上がる。

まさしく、七転び八起きするダルマと称される人生を送ってきました。

 

そんな彼を紹介します。

 

騙されて奴隷契約、女遊び、大借金からのスタート

奴隷と書いていますが、

奴隷制度で売買されたわけではありません。

 

高橋は、日本でなくアメリカで奴隷になってしまったのです。

12歳の頃、横浜のイギリス人家族のボーイとして仕えて、英語を学んでいました。

その後、アメリカに留学します。

そこで、ホームステイ先に騙されて、住み込みで働く契約をしました。

過酷な労働、家畜に与える粗末な食料などまるで奴隷扱いされました。

 

さすがに、このままでは生きていけないので、

徳川幕府からサンフランシスコ名誉領事に任じられていたブルークスを訪ね、

契約破棄してもらえるように訴えます。

過酷な労働中に覚えた英語で粘り強く訴えた結果、ブルークスは承諾しました。

 

悲惨な目に遭った、高橋は日本に帰国します。

戻ったときは、徳川幕府が倒れ、明治新政府が樹立されていました。

つまり、戻ったら頼れる人が誰もいない状態です。

ですが、アメリカで知り合っていた森有礼のお陰で、なんとか大学で英語教師に就くことができました。

これでとりあえずは生きていけます。

 

とにかく若かった高橋は、

大学の生徒たちと、酒におぼれて女遊びばかりしていました。

そして、大学側に見つかり、辞職させられました。

無職になった彼は、持ち物を売り払い、馴染みの遊女の家に駆け込みます。

そんな彼をみた、吉原の花魁から

「若いのにそんなことしてはいけないよ」

と言われ、高橋は改心します。

「確かに、このままではダメになってしまう」

 

その後は、英語教師になったあとに、森有礼の推薦で文部省に入り様々な学校で英語を教えていきます。

教師として優れた能力を発揮するほかに、農商務省の役人としても活躍していました。

仕事のできる高橋は、農商務省の上司に強く進められて、

ペルーのカラワクラ山脈の開発を行います。

鉱山を経営するために、大金を払い現地に赴きました。

 

ところが、鉱山はすでに堀尽くされた、空の状態でした。

大金を払ってきたので、鉱山で掘れなくては借金を返せません。

家を失い、路頭に迷います。

就職しようにも、世間から「山師」と悪評されて、仕事が見つかりません。

 

そんなとき、鉱山経営を進めた上司が責任を感じて、知り合いの仕事を紹介してもらいなんとか銀行の事務主任に就職できました。

ですが、これまでより遥かに少ない給料でした。

 

それでも、高橋は途中で投げ出すことなく3年間勤めて、その後横浜正金銀行本店支配人になります。

横浜正金銀行は、外国為替システムが未確立だったときに、貿易時に日本の不利益を軽減するために現地に行って決済する業務を担っていました。

現在の東京銀行のになる前の銀行です。

日銀の副総裁になり、難題の戦争の資金調達に挑む

横浜正金銀行での働きが認められて、日銀に呼び戻されて副総裁になります。

その後、高橋が大きな仕事を任されます。

それは、日露戦争の資金調達です。

その金額は、当時のお金の1億円です。

高橋はアメリカに飛んで、外債募集するため銀行家に相談しに行きました。

すると、アメリカでは小国・日本が、最強のロシアと戦争する勇気を気にっている人が多いことを知りました。

しかし、融資をするまでには至りません。

当時のアメリカも発展途上でお金が十分になかったのです。

 

そこで、高橋はロンドンに向かおうとしますが、不運な電報を受けます。

「外債募集の見込みはありません」

と横浜正金銀行の支店長から来たのです。

どうしても資金が必要なため、電報を見なかったことにしてロンドンに旅立ちました。

 

ロンドンに着くと日本公債は不人気で売れません。

一方でロシア公債は人気で値上がりしている状態でした。

つまり、ロンドンはロシアの勝利を確信していたのです。

 

でも、高橋は諦めません。

何度も銀行家と話し合いをします。

銀行家たちが気にしているのが、

・日本は戦争に勝るはずないのだからお金は返せない

・ロンドンは中立国なので外債を引き受けて軍事費用を提供すると中立違反になる

の2点です。

 

そこで高橋は考えます。

ロシアとの戦争は自国を守るためであり、仕方がないものあり、日本は最後の最後まで戦い抜く。

また、支払いに関しては関税収入から出すこと。

中立問題は、過去に南北戦争で公債を引き受けた例があるから大丈夫だと説得しました。

高橋の熱心な説得によって、銀行家たちは折れて目標の半分5000万を出す条件で引き受けてくれました。

でも、まだ目標に達していないので高橋は悩みます。

 

ロンドンでの公債引き受けの参加者を集めてパーティを開きました。

その時、幸運にもニューヨークの商会代表のジェイコブ・シフと話すことが出来ました。

高橋は、現状を丁寧に説明すると、

「私が残りの公債を引き受けましょう」

と言ってくれたのです。

シフは、大富豪でした。

あと、シフがユダヤ人でロシアのユダヤ人迫害に対して許せなかったから出してくれたことが分かりました。

 

日本が勝利、数年後に内閣総理大臣になる

日本がロシアに買ったことで、日本の国債が爆発的に人気になります。

5000万円がニューヨークでは、2億5000万円、ロンドンでは、15億円に達しました。

 

この功績が表彰されて、大蔵大臣、農省務大臣、商工大臣、農林大臣を経験して

数年後に高橋は内閣総理大臣になります。

 

内閣総理大臣になった後も、活躍しますが、

最後は、軍事費を縮小しようとして軍部の恨みを買って殺されました。

 

以上が高橋の物語です。

 

高橋は、奴隷、失業、大借金と様々な苦難を経験してきました。

何度も諦めそうになりますが、粘り強く立ち上がる、まさしく七転び八起きのダルマと称されるに相応しい人物です。

諦めない所も彼の凄いところですが、もう一つあります。

素直さです。

最初、彼は失業したときに、遊女の家に駆けこみ自堕落な生活をしていました。

そんな時に、花魁に説得されたのです。

人は、生き方を意見されてもなかなか受け入れがたいです。

「お前には、関係ないだろう」

「俺は、ずっと今まで生きてきたんだ」

と言いたくなります。

でも、高橋は、素直に受け入れて改心したのです。

ここが、高橋のもう一つの凄いところです。