今回の偉人は、
母国を捨ててまでもロケット開発に人生を捧げた男の物語です。
彼はドイツの科学者、ヴェルナー・フォン・ブラウンです。
彼の名言は、
「宇宙に行くためなら、悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」
です。
ブラウンは、人類史上初のロケットV2号を製作したり、
人類をはじめて月に送り込んだアポロ計画は彼なしでは達成できるか疑わしかったといわれるほどロケット分野で有名な人物です。
そんな彼の物語をお伝えします。
もくじ
ロケット開発のため母国ドイツを捨て亡命する
ブラウンの作った最強のロケットV2は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツで製作されました。
マッハ4で飛ぶため誰も撃墜は不可能で、
発射基地や輸送ルートを予測して対策するしかないほど技術力の高いロケットです。
そんなロケットをもつナチス・ドイツでしたが、
ロケットが活躍することもなく戦争で負けてしまいます。
そして、ドイツを敗北に追い込んだ連合軍は、高度なロケットV2の技術に関心をもち、
ドイツの技術者の争奪戦が始まろうとしていました。
一方でブラウンは、これ以上ドイツでロケット開発できないので、亡命を考えます。
どの国に行こうか
連合軍のアメリカ、ソ連、フランス、イギリス、どこにいけば開発ができるだろう。
考えた結果、アメリカを選びました。
「ソ連は自由を制限される」、「フランスはドイツに占領された恨みがある」、「イギリスは国としては力が弱い」
そうして、ブラウンはロケット開発チームをつれてアメリカに降伏しました。
彼がここまでできるのは、人一倍ロケット開発の思いが強いからです。
母国とアメリカからの批判に負けない
ブラウンは、アメリカに移住して一段落したものの周囲から猛烈なバッシングにあいました。
ブラウンは、ヒトラーの恐怖政治の親衛隊の少佐でした。
直接残虐な行為はしていなくても、批判を向けられました。
また、ドイツからも、
「敵国に逃げて、ロケット開発するなんて裏切り行為だ」
といわれてしまいます。
ブラウンだけでなく、ナチスの科学者や文化人たちは、同じような目にあっていました。
その時、彼は冒頭で話した名言を言いました。
「宇宙に行くためなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」
お金や名声のためでなく、純粋にロケット開発をできるならどんな環境でもいいというブラウンの本音が伝わります。
子供たちに宇宙への夢を見させるためにディズニーとタッグを組む
ブラウンはロケット開発だけでなく、
ウォルト・ディズニーとタッグを組んで、
子供たちが宇宙に興味を持ってもらうためにテレビ番組に出演しました。
番組では宇宙旅行について解説し、彼が製作したロケットの構造について熱く語りました。
その頃は、人工衛星なんて開発されていない時代で、
世間では、宇宙は物語だけの世界と思われていましたが、ブラウンによって本当に行けるのではという気にさせたのです。
彼のお陰で宇宙に興味を持つ子供が増えて、宇宙飛行士や宇宙技術開発に携わりたいという子供が大勢増えたに違いありません。
すべては人類を宇宙に導くために
アメリカでケネディが大統領に就任したとき、人類を月に送るアポロ計画が発足され、
ブラウンはロケットの開発に従事します。
1969年、ブラウンが作ったサターンロケットで打ち上げたアポロ11号が、
月面着陸に成功します。
ブラウンはついに夢にみた計画を実現させました。
以上が彼の物語です。
自分のやりたいことを優先させるために環境を優先させる。
周りにどんな批判をされても自分のやりたいことを貫く姿勢に驚きました。